楽しみにしていた神奈川近代文学館「没後15年 庄野潤三展」へ行ってきました。
庄野潤三作品の根底を教えてくれる作家のことばが胸にしみました。
皆いなくなって、僕は少し切なくなる
そのような切なさを自分の文学によって表現したい。
作品の底辺に音立てて流れているので
読み終えたあとの読者の胸に
生きているのは、やっぱり懐かしいことだな
という感動を与える。
そのような小説を僕は書きたい。
自分は私小説家ではない。
全ての文学は人間記録(ヒューマンドキュメント)
という考えが根底にある。
どんな形で書かれていようとも
作者が生きていた証というものを読者が感じる
そういうものでなければ
文学ではないという気持ちがある。
作家の書斎の窓から見える景色は「山の上の家」そのものでした。
この景色を眺めながら執筆をされていたのです。
机の上には愛用の品々が。
天板の色合いが長年使い続けてきたことを物語っていますね。
原稿執筆に使った3Bのステッドラー鉛筆。
以前、ご自宅を公開した時に新品を来訪者に配るほどの在庫をお持ちでした。 その1本を庄野潤三先生の本と一緒に今も大事にしまっています。
あの時、山の上には長男 龍也さん、長女 夏子さんがいらして暮らしぶりをお話しくださって、龍也さんは庭の木に登ったりしてこどもの頃のことを懐かしむ様子を見ていると、そこにいた全員が親戚一同になって小説の中にいるような気持になったのを思い出します。
作家としての展示なのですが、どうしても気になるのはご家族のことです。 初期の作品は登場人物の名を変えていますが、いつの頃か本名のまま家族総出で小説の中に登場するのですから、「小説=ご家族とその暮らし」です。 本の中での妻 千寿子さんはお料理上手の良妻賢母というイメージでした。 けれど結婚前には子どもにも女中がつくほどの裕福な家に育ち料理をしたことはなく、結婚後には義母、義姉に頼りながら家事をしていたもののある日その二人が出かけて一人で料理をすることになり天ぷらを揚げたら失敗しボヤを起こしてしまったこともあったそうです。 それでもそれを義母は咎めることなく「怪我はなかったかえ?」と心配してくれたそうです。 その義母の生まれはは徳島で、その郷土料理のちらし寿司「かきまぜ」は庄野家の味としても今も引き継がれています。
そう、その「かきまぜ」を鮨喫茶すすすで頂いてきましたよ。
甘く煮た金時豆をいれるのが特徴です。
カボスとシラスは「すすす」アレンジかもしれません。
味付けは長女の夏子さんお墨付きだそうですから、その味を食べることができて庄野家にお呼ばれさせてもらった気分です^-^
そして夏子さんのお母様、潤三氏の妻の千寿子さんはまだまだ登場します。
庄野作品の肝はやはり妻と子供たち、そして仕事仲間とご近所さん。
人に恵まれた生涯だったのだと改めて思いました。
次回へと続きます ^-^