最後にお手紙を書いたのはいつですか?
展示室にあがる階段の踊り場の
はっとする言葉がお出迎えです。
【少女たちのお手紙文化1890-1940年
変わらぬ想いは時を超えて】
明治から昭和初期にかけて
「少女」を通したお手紙文化の展示を見てきました。
以下、展示説明を抜粋です。
1902(明治35)年に「少女界」という雑誌が刊行され
一大少女雑誌ブームが起きる。
趣味性を高めて読者投稿欄が設けられ
文通仲間を見つける交流の場になった。
それらの雑誌に投稿し文筆で身をたてる方法を
少女たちに示す役割をはたした。
大正時代には
「令女界」・「少女画報」・「少女」・「新少女」など
昭和になると「少女クラブ」・「少女の友」
さかんに少女雑誌が刊行されていった。
それらの雑誌に付録がつきはじめ、
なかでも「高畠華宵」のレターセットは爆発的な人気になった。
高畠華宵とは? と調べてみたら
ツムラの中将湯の女の人の絵を描いた人で
大正ロマンな絵柄は当時の少女の心を鷲づかみしたようです。
雑誌の付録にレターセット、ワタシの少女時代にもありました。
好きな漫画家のイラストだとワクワクしたことを思い出しました。
そして雑誌でみつけた人と文通したこともね。
少女が書いたお手紙の実物が展示されていました。
読んでみると文体が、
~ですわ。 ~ませね。 ~わ。 ~てね。と、
なんともお上品でございますわ。
それなのに、最後はカタカナで「サヨナラ」と書いていて
ちょっとあっけない感じがいたしましたわ。
文具や紙小物は
西は十合(そごう)、大丸、高島屋、
東は伊東屋、三越、丸善、日本橋榛原が人気のお店だったようです。
展示もされていた日本橋榛原の木版刷りの和紙封筒の意匠は
とても素敵なものばかりでした。
なかでも赤い炎の白い蝋燭の周りにシルバーのスズランが
描かれていた封筒はちいさな額絵のようでした。
使うのがもったいないほどの美しさでしたが、
こんな封筒の手紙が届いたらとても嬉しいでしょうね。
今とは違うサイズで宛名書きするスペースがないほど
全面に絵が描かれているので現代ではこのまま使うわけには
いかないのでしょうけれど。
封緘紙も小さいなかにクスっと笑えるものや、
シックですわ~というものがあって
手紙文化は少女の心をくすぐるものばかりです。
封緘紙を見ていて思い出したのが
Hapoさん(母)は封筒の封緘に〆の代わりに
”つぼみ” と書いていました。
少女時代に流行っていたそうで、
ワタシも真似て友達への手紙の時には書いていました^-^
見応えのある展示を見ていて
「手紙は力」だと感じました。
そして、あれこれ感じたことがまだあるので
次回へ続く~です。
町田市民文学館ことばらんど でのこの展示は
3月24日(日)まで 入場無料です。