漆継ぎをして繕って使うようになったのはここ数年のことです。
今までは欠けたり、割れたりしてしまった器はどれだけ気にいっていても
潔く捨てていました。
断捨離ではなくて、Hapoさん(母)ゆずりのルールのためなのです。
Hapoさんも民藝の器好きで、
諸国民藝の生活用品を扱うお店で器を買い求めていました。
陶器って磁器に比べると割れやすいですよね。
Hapoさんは、欠けた器は使わないというポリシーがありました。
「欠けた器を使うなんて、ぜったいダメよ。」
「だって、危ないし、ちょっとの欠けでも貧乏くさいじゃない。」
「外食して、欠けた器で料理を出すようなお店にはもうぜったいいかないわ」
貧乏くさいっていうけれど、ウチはそんなこと言えるほど裕福でもないのに、、、。
いろいろ理由はあるのでしょうけれど、欠けた器は使えないとなると
欠けないように気をつけよう という気持ちになります。
食器を流しに下げるときは、ぶつからないように、
陶器と磁器、陶器と鍋などの金属製品が重ならないように、
洗う順番も気をつけて、考えます。
直接そうしろと言われたわけではないけれど、
そういうことが自然に身についたのかもしれません。
といっても
欠けたり、割ってしまった器の数は、いったいいくつあったでしょうか。
食卓では使わずに花器にするものもありましたが、
やっぱり最後は捨ててしまいました。
オットと一緒になって、その確率の高いこと!
買って1週間もせずに作家物の器が欠けたときには、さすがに怒ってしまいました。
その時に「形あるものは、壊れるの! どうしても使いたかったら金継ぎすれば?」
と言われて
「金継ぎ?なにそれ?」と漆継ぎの世界の扉を開けることになったのです。
欠けた器は使えないけれど、欠けを直せばいいんだって単純なことに
ようやく気付いたワタシ。
過去のあれやこれやの器たちを手元に取り戻したいーと思うものの、
割れてサヨナラした器があったから、新しい器を手にいれたのだから
それは、それでヨシ!です。
そうなんです。
欠けた器を直せると、新しい器を手に入れる機会が減るということでも
あるんですよね。
器好きの食器棚はすでにいっぱいですから。
まあ、仕方ないことではありますが。
「なら、何枚か割ってあげようか?」
なんて、ひどいことを言うオット。
けれど、
オットが手を滑らせて器を割っても怒らなくなったのは、
新しい器との出会いの余白ができるからでもあるのです。