老母の握力

介護の入り口。老母(ローボ)と老娘(ロームス)のつれづれ。

ぼけますから、よろしくお願いします。

鋭いタイトルのこの本を読んでいる間、何度も涙で文字が滲みました。

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ぼけますから、よろしくお願いします。 (信友直子・著)

2017年のお正月に作者の当時87歳の母親が実際に言った言葉がタイトルになっています。 同名のドキュメンタリー映画が2018年11月に上映され、現在はDVDも発売されています。 気にはなりつつも未見の映画ですが、その映画には入りきらなかったエピソードが綴られた本です。

作者の「はじめに」の、「みんなが悩んでいることがうちだけじゃあなかったんだなと少し力を抜いて楽な気持になっていただけるなら嬉しい」ということばどおり励まされることが沢山の内容でした。

 

「介護はプロとシェアしなさい。」

「他人にでもできること(例えば入浴介助)、はプロに任せると覚悟を決めないといけない。 介護はこれから何年続くかわからないのだから自分が疲れて母親のことを恨むことになったら本末転倒だ。」とアドバイスを受けた作者。

 

その人を愛してあげることはどんなカリスマヘルパーも家族にはかなわない。

 

母親のことをヘルパーさんにお願いすることを心のどこかで罪悪感みたいなものを感じていたと、そのとき気づいたと作者は言っています。

 

今までの私と同じです。

日曜日も面会帰りに、「会えた嬉しさと切なさ」と、「罪悪感」にさいなまれ

負の気持ちを切り替えるのに苦心しました。

 

作者は子供のころから母親のことが大好きだったと語っています。

 

私は、、嫌いではないけれど「大好き」とは言い切れない部分もありました。

好きだし、感謝することの方がもちろん多いのですが、ストレートに「大好き」と言い合えないちょっとした隙間があったなと思います。

 

10年ほど前に、ベランダに出ようとして尻餅をつき、痛さで歩くのが不自由になった母の介助に行った時に母と言い争いをしたことがあります。

 

自由に動けない自分にいら立ち、それを私にあたる母。

希望通りな介助ができていないと声を荒げる母。 

 

こんなにやっているのに、と思うと切なくなり、

子供は私だけではないのに、なぜいつも私にばかり頼ってくるのか。

 

少しは他の兄弟とシェアしたいと提案しても

息子やその嫁に迷惑はかけられないという。

 

娘にはいいの?その夫にはいいの? 

 

それが私を信頼している証で、私にしか甘えられない、

 

そして頼らないと生活できなくなっている自分にいら立つ母。

 

これを何日も繰り返し、煮詰まってしまったのは私です。

 

とうとう三兄に電話をして代わりをお願いすることにしました。

 

それでも母は、「nokoちゃんとはうまくいってると思っていたんだけどな。」

と三兄夫婦が来ることを受け入れられない様子。

実力行使で、三兄と入れ替わりに帰宅してしまいました。

 

後に、三兄から「nokoからすごい剣幕で電話がきて、

何がなんだかわからないけどとりあえず母のところへ行ったけど、

あれは何だったんだ?」と聞かれたけれど、

「何だ?」と言われても時が経ってしまえば、その説明も、もうできません。

 

ただ、兄も母の子供なのだから

母の老いていく姿に接する機会があってもいいのではないかとは伝えました。

 

母は女同志の気安さもあっていつでも私に介護を委ねます。

 

それは今となっては受け入れていますが、

兄たちにしてみれば老いていく母を知らずに母の最期を迎える日が

いつかはくるかもしれないのです。

 

それって子供として感情を整理できるのでしょうか?

私よりきっと悔いることがらが多くなるのではないのかな?とも思うのです。

 

愛情は計れるものではないのかもしれないけれど、

親が老いていく姿と立ち向かうのも

子供から親への愛なのではないのかとも思います。

 

だから兄たちにもその時間を持って欲しいと思うのです。

 

こう思うのは私のエゴかもしれませんが、、、。

 

そしてこの本の中にも母との言い争いと似たような場面がありました。

作者は一人っ子なので、私のように他の兄弟に頼ることもできません。

 

それでも心を整理して母親と向き合っています。

 

介護と自己嫌悪はセットなのだと、私も気づきました。

 

そう思えれば、リセットするのも少しだけ容易になるような気がします。

 

母が2020年9月に右大腿骨骨折の治療が終わり退院したときの

長谷川式認知症スケールでの結果は23点でした。

ギリギリな点数でしょうか。

 

入院当初の2020年7月は17点でしたから、

リハビリや生活支援のおかげで回復がありました。

 

今日が何日かわからなくても生きてはいけます。

その日が楽しければ、それでいいのです。

 

一緒に面会に行った私の夫の名前を呼び、

「まだぼけてないみたいね。」と笑う母。

 

人が老いていく無残さと、年を重ねてゆく豊かさを

私の母も教えてくれています。

 

 

 

母は、母なのだ。