ノコノオト noko_note

nokoの雑記帳  あれこれつれづれ

懐かしのOL時代

いつも訪問しているブログの方がご自身のOL時代のことを題材にした連続テレビ小説(案)を妄想されていているのを読んでいたらワタシも若かりしOL時代のことを思い出しました。(ワタシの場合は朝ドラになりそうもありませんが) 最初の就職は地元でしたが、その後20代後半で地元を離れ横浜の外資系企業に転職しました。 田舎モノは「横浜」という響きだけでドキドキしちゃってほとんどおのぼりさん状態の日々で、元町のチャーミングセールに初めて行った時はテンション上がりまくり~でした。 職場の人たちに恵まれカルチャーショックを受けながら、横浜暮らしの礎を築いた時代です。

デスクの上の書類の山。当時はこの部署には2台コンピューターが有りデータ入力や検索は順番待ちで書類は英文タイプで作成していました。 まだパソコン(パーソナル)では無かったのです。 海外とのやり取りはテレックス! なつかしいなぁ。

写真の奥に写る窓からは横浜公園が見えます。ピクニックシートとお弁当を持って公園でみんなとランチを食べる日もありました。チューリップの頃は特によかった~♪ お財布だけ持ってランチに行ったこともあるけれど、そのお店のほとんどが今はもうありません。 公園の様子も当時とだいぶ変わってしまいました。

 

日本人上司がオーストラリアに単身赴任したので、年末休暇に押しかけてシドニー近郊の観光案内をしてもらったり、クルーザーに乗せてもらったり(その時に食べたシュリンプがとても美味しかったです。)一緒に仕事をしていた人たちとホームパーティを開いてもらったり。 この写真の時は肉じゃがを作って食べてもらいました。美味しい♪と喜んでもらえたのですが、玉ねぎが無くて太いリーキ(ポロネギ)で作ったのがよかったのかも? ここには写っていないけれど、旅行中の宿の手配をしてくれたMrs.Sとは今もクリスマスカードを送り合っています。

 

この旅でエアーズロックにも上りました。現地では「ウルル」と呼ばれていますが、今はもう登頂禁止になっているようです。

頂上は風が強くて吹き飛ばされそうになりながらに登頂記念のノートにサインをしました。 当時カンタス航空がストをしていて予約していた便が飛ばなくなり空港のカウンターで代替便のチケットがなかなかとれず、果たして行程通りに旅を続けられるのかドキドキした思い出もあります。

 

この会社の人たちの多くが日常的に海外旅行をしていたのでワタシもいつのまにか海外旅行病に罹患して、お給料の大半を旅行につぎ込んでいました^-^

 

横浜に転職することが決まったときにHapoさん(母)が「まずは女性の友達を作りなさい。 大人になってから友達をつくるのは大変なことだけれど、そのご縁を大事にしなさい。」と送り出してくれました。 仕事を覚えることよりも友達作りをしなさいと言ってくれたのは一人暮らしを始めるワタシが楽しく過ごして行けるようにと案じてくれたのだと思います。 おかげで順調に友達ができて、いまでもご縁が続いています。

 

その後も何度か転職をしたものの、人間関係には恵まれた社会人生活だったなぁ~。どの職場でも心に残るのはお昼休みのたわいないおしゃべりの時間かもしれません。

仕事? 

仕事もちゃんとしてましたよー

(していたツモリ??? いや、がんばったよ~^-^)