ノコノオト noko_note

nokoの雑記帳  あれこれつれづれ

はじまりの記憶

はじまりの記憶。

 

思い返してもあまり悲しいことってなかったな。

それでも記憶を辿って思い出したのが、

 

悲しみの記憶の最初は、

小学5年生の運動会で800m走を1周遅れでビリになって

恥ずかしくて泣き続けていたこと。

 

800m走に出たい人なんていなくて、

転校してきたばかりの私に、

「あなたは背が高くて走るの早そうだから出なさい」

担任の先生に言われて、

 

転校手続きの体育の評価見ていないんですか?

背が高いからって走るのが早いわけではありません。

まして800m走ったことありません。

そう断るものの、

 

「大丈夫よ、コンパス長い分だけ早いわよ」で、決定。

 

クラスの子たちは、自分が出なくていいのでほっとしている。

 

当日、自分以外は全員早そうに見える。

 

実際、早いのだ。

 

今までの学校は1学年20組のマンモス校

グランドにまで校舎が建ち、

体育の授業はほとんどなかった学校からの転校生と

毎朝、授業前にマラソン練習をしている生徒たちとの

勝負の結果は見えている。

 

ぜったいビリだと思いながら走っていたら、

まさかの周回おくれでのビリ。

転校してきたばかりで、同級生も声を掛けられずにいる。

その気配を感じる孤独感たるや。

見学に来ていた家族が慰めてくれるものの

その声すら耳に届かないほど、深い深い悲しみの底にいました。

 

体育嫌いが決定した瞬間です。

 

できれば消してしまいたいと思っていた記憶。

 

そんな私が高1の体育祭の1000m走にクジ引きで負けて

クラス代表として出ることになってしまいました。

 

小5の悪夢がよみがえります。

 

またビリになったらどうしよう。

 

ビリにはなりたくない。

 

そんな思いで、夜のコソ練(こっそり練習)が始まりました。

夜道を走ることを3週間ほど続けて本番を迎えました。

 

参加選手は3学年一斉の18名。

トラック5周を走ります。

体育祭なのでトラックの周りには生徒席があります。

その中には憧れのH先輩もいます。

H先輩のいるあたりに近づくとフォームを正しスピードをあげる。

(いいかっこしーなワタシ)

 

ラスト1周

前には陸上部の2年生がひとりだけ。

 

えっ?

 

最後の直線でクラスのみんなが

声援を送ってくれているのに気づいて

ラストスパートしたものの追いつくことはできず

そのまま2位でゴール!

 

人生初の2位!

 

1位になれなくたって充分うれしい。

 

コソ練の効果があったんだな。

 

同級生はH先輩の前を通るときははりきっていたね 

と冷やかす。

 

なんだばれていたのか、と思いつつも

その隣はクラスの席だったから

「クラスのみんなの声が聞こえたからそれに応えていたのよ~」

とごまかす。

 

ああ、青春の1ページ。

 

小5のビリ体験があったから

高1では準備をしてがんばれた。

 

悲しい体験も無駄じゃあなかったのかな。

 

 

↑この本を読んだから思い出した記憶。

 

人は、日々前へ進もうとする。だが、前とはどの方向なのか。ほんとうに前へ進んでいるのか。ー中略ー 人生の筋目に立ったときや困難な試練に直面したとき、自分の内面の原点を探る旅に出る。それは、自分を育ててくれた数々の事柄と今の自分の存在理由を確認し、次に進む一歩を確かなものにする作業になるからだ。その作業はまた、自分の人生を受け容れ、他者への理解を深めることにつながるに違いないとも考えている。

 「はじめに」に書かれていることば。

 

 

・かなしみ

・空

・ころぶ

・存在理由

・忘れる

・音楽

・マイ ウェイ

・眠る

・身体感覚

・笑う

・夢

・自立

 

柳田邦男さんと伊勢英子さんが12のキーワードをもとに

それぞれのはじまりの記憶を書かれています。

 

解説の細谷亮太さんは、この本の正しい読み方として

まず最初の「かなしみ」から読み始めてお二人の文章を読んだら

いったん本をとじ、次はあなたの番です。

二人のエッセイに誘発されて不思議なイメージが広がるはずです。

頭が思い出でいっぱいになったら、今日はそこまで。

続きはまたあした どうぞ。

そんな風に読み進めて、読み終わったら、今度は全編通して読みます。

三人目の著者のあなたの記憶を吸収してこの本はより豊かで

素晴らしい本になっているはずです。

 

正しい読み方通りに読んで、思い返したワタシの「かなしみ」

小さな(当時は大きな)挫折が、努力する大事さを教えてくれた。

(随分と時間がかかったけれど)

 

オットにも悲しみの記憶を聞くと

はじめてのではなく、最大の悲しみは

16歳で母親を亡くしたこと。

当時は、ずーっと、ずーーーっと悲しくて、

悲しくて仕方がなかった。

 

 

けれど、もしも、もしも、もしも、、、

nokoが先に死んだら、それが人生最大の悲しみになると思うよ。

 

おやおや、うれしいやら悲しいやら。

 

それよりも喜びの記憶を話そうよ。

 

と話題を変えるオットでした。

 

 

今日の記憶が、

次へ進む一歩に

役に立つ日があるのかもしれません。