12月18日の落合三館巡りのことを綴ります。
年内になんとか書けて、ヨカッター(^^)
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中井・落合エリアは、大正から昭和にかけて多くの芸術家が愛した「アトリエ村」の面影が色濃く残る場所です。
なぜ、彼らはこぞって落合に集まったのでしょうか。坂道が生み出す高低差が、画家にとって理想的な「光」をもたらしたからでしょうか。それとも、新宿に近いながらも武蔵野の面影が残る自然豊かな場所だったからでしょうか。
芸術家たちにとって「落合」は単なる住所ではなく、そこに暮らすこと自体が芸術や人生という「キャンバスの一部」だったのかもしれません。
1. 佐伯祐三アトリエ記念館

「三館巡りマップ」を手に取り、最初に向かったのは佐伯祐三アトリエ記念館です。30歳という若さで、パリで客死した天才画家・佐伯祐三が日本で唯一構えたアトリエ。三角屋根がとても愛らしい建物です。

佐伯は大阪の大きな寺の息子として生まれました。落合にアトリエを構えられたのは実家からの経済的援助が大きかったようですが、彼はその恵まれた環境に甘んじることはありませんでした。むしろ「自分は何者か」という問いを抱えてパリへ渡り、命を削るようにしてキャンバスに向かったのです。
このアトリエは、彼にとっての「修行の場」でもあったのだと説明されていました。実はここ、もともとは実家の米蔵の跡地に建てられたもの。彼はここをとても大切にしており、パリへ発つ際も「ここをそのままにしておいてほしい」と願ったそうです。
戦災を免れ、当時のままの姿で残っているのは奇跡に近いこと。短い生涯の中で、この美しい空間を拠点にできたことは、彼にとっての救いであり、創作の源だったのかもしれません。
佐伯といえば、あの郵便配達員の絵ですね。私にも見覚えのある絵がありました!

アトリエの周囲は小さな公園になっています。

たっぷりの落ち葉とベンチがある風景は、どこかパリの街角のよう。佐伯なら、この風景をどう描いたでしょうか。
2. 中村彝(つね)アトリエ記念館

次に向かったのは、中村彝アトリエ記念館です。 こちらも、とても可愛らしい建物でした。訪れた時はクリスマス飾りが施されており、アトリエの趣と相まって、思わず見惚れてしまうほど素敵でした。



2013年に復元・整備されたこの記念館は、外観だけでなく内部の調度品も、当時の写真をもとに忠実に再現されています。


中村彝は早くに家族を亡くし、自身も結核という病を抱えていました。そんな彼を支えたのが、新宿中村屋の相馬愛蔵・黒光夫妻をはじめとするパトロンたちです。
当時の落合・目白界隈は「目白文化村」とも呼ばれ、芸術を理解し支援する文化人や実業家が多く住んでいました。彼のアトリエは、周囲の人々が「心置きなく絵を描かせたい」と願って作られた場所で、その人たちの愛に支えられた画家人生だったようです。
林芙美子、佐伯祐三、中村彝の記念館を巡り、三人とも40代、30代という若さでこの世を去っていますが、残された住まいやアトリエに立つと、彼らがその短い時間をいかに濃密に、そして「自分の城」を持って情熱的に生きたかが伝わってきました。
家族やパトロンの支援があった画家二人に対し、芙美子さんは唯一、「自分の稼ぎ(印税)」で落合の家を建てました。「放浪記」が空前の大ヒットとなり、まさにペン一本で貧困から這い上がった彼女にとって、この家は成功の証でした。 「家を作ることは執筆と同じ」と語り、建築家と一緒に京都まで建材を見に行くほどこだわったのは、放浪生活が長かった彼女にとって、「安住の地」への願いが人一倍強かったからだと言われています。
林芙美子邸では調度品から「生活の匂い」を感じましたが、画家のアトリエでは「祈りのような静寂」を感じました。
坂の町・落合から目白へ。三人三様の生きざまを感じる散歩道でした。もし「どこに住んでみたいか?」と聞かれたら、私は中村彝の家でしょうか。天井の高さが冬の寒さに響きそうですが、別荘として住むなら最高だな、なんて空想を膨らませて今回の三館巡りを締めくくります。
【見学メモ】
平日だったこともあり、見学者は数人ほど。まさに都会の穴場スポットです。これほど豊かな物語が詰まった場所、もっと多くの人に知ってもらえたらいいなと思います。
最後に、
三館巡りをコンプリートした記念品として絵葉書を頂きました。

林芙美子さんのスタンプを押したときに思わず「サザエさん(長谷川町子)?」と声に出してしまって受付の人に笑われたのはワタシです(^^ゞ