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映画『いわさきちひろ 27歳の旅たち』を観て

映画「いわさきちひろ~27歳の旅立ち~」を観ました。

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愛らしくて、それでいてどこかはかなげな子どもの絵を描き続けた、いわさきちひろさん。彼女がどうしてあの唯一無二の表現にたどり着いたのか、その心の奥深くを、知ることができました。

 

この映画は、ご本人による生前の映像が少ない中で、ちひろさんの「生の声」である日記や手紙、そして親しいご友人や知人の方々の温かいインタビューを丁寧に織り交ぜて構成されています。時に「推測」と思われる部分があったとしても、それは、証言の向こう側から立ち上がってくる、悩み、迷い、それでも強く立ち上がろうとしていた27歳の生身のちひろさんの姿を感じるための、大切な手がかりなのだと思いました。

 

最初の結婚、そしてそれが終わってしまったときのちひろさんの心は、どれほど複雑で、激しい感情の波に揺さぶられていたことでしょう。それは決して単なる「失敗」や「挫折」ではなく、深い苦悩を経て、心のあり方そのものが新しく生まれ変わった時期だったのだと思います。

 

ちひろさんの代名詞とも言える、水彩の「にじみ」の技法、「没骨法もっこつほう)」に行き着いた描き方にも、この心の変化は深く関係しているように思えてなりません。

没骨法とは、絵の輪郭線(骨)を描かず、色(肉)だけで形を描き出す技法です。ちひろさんの水彩画の「にじみ」は、悲しい気持ちと、そこから生まれる美しい思い出がそっと混ざり合う、人間の心の複雑さ、そして温かさを表現しているようです。すべてをはっきりさせず、あえて曖昧にすることで、見る人の心に深く静かに染み入る静謐な美しさに行きついたのではないでしょうか。

ちひろさんの絵は、水が紙に溶け込んでいくように、私たちの心にもそっと寄り添い、そして静かに涙を流させてくれるような優しさを持っています。それは、27歳の旅立ちで得た、痛みを知る大人の、限りない「許し」と「愛」の表現なのだと、映画を観て改めて深く感じました。

 

この映画をちひろさんのお誕生日、12月15日の翌日に観たのは、本当に素敵な出来事でした。偶然という名の必然が、この深い鑑賞体験を一層特別なものにしてくれたように思えます。

 

まるで、「今日、わたしの人生の旅たちを見てくれて、ありがとう」という、ちひろさんからの温かいメッセージを、映画を通して受け取ったようでした。

 

もし、ご存命であれば107歳になられるちひろさんは、今のこの社会を見て、どんな絵を描いてくださるでしょうか。

 

核戦争の危機や、環境問題、国境を越える争い。一方で、多様性が認められ始めた社会、テクノロジーがもたらす子どもたちの新たな可能性。

 

平和を強く希求し続けた方ですから、今の「世界の子どもたちの不安」を、あの柔らかな筆致で描いてくださるでしょう。でも、それはきっと、ただ悲しいだけの絵ではないはずです。

 

例えば、マスク越しの瞳の奥に宿る、不安と好奇心をにじみで描き、その周りを希望の光でそっと包み込むかもしれません。あるいは、画面越しにつながる世界中の子どもたちの手を、透明な水彩で優しく結びつけるかもしれません。

 

時代の苦難の中にこそ、ちひろさんは必ず「子どもの持つ無垢な希望」を見つけ出し、その小さな輝きを、にじみと色彩で、私たち大人の心にそっと差し入れてくださるように思います。

 

中学生の頃、ちひろさんのレターセットを愛用していた時には、ただ「可愛い」と思っていただけでした。

 

けれど、あの「可愛らしさ」の絵を描く画家が、実は人生の深い苦悩と向き合い、自ら立ち上がり、愛と平和を強く希求した人であったと知ったとき、絵の持つ意味は一変しました。

 

「可愛い」という入り口から入った私たちに、その奥で「生きる」ことの尊さを教えてくれるのが、いわさきちひろさんの芸術なのだと、改めて深く思いました。

 

絵の周りを優しくぼかす「にじみ」は、かつて感じた人生の孤独や曖昧さを受け入れ、どんな境遇にある子どもでも包み込むことができる、無限の優しさのように見えてくるのです。

 

 

この映画を観て、久しぶりにちひろさんの絵を観たいと思いました。

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行司千絵さん著の「装いの翼」を起点にした展覧会が開催中です。

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「装い」というテーマに、ちひろさんの人生や創作への想いがどのように込められているのか、とても興味がわきます。近いうちにぜひ訪れて、ちひろさんの絵がくれる、心にそっと寄り添う時間を大切にしたいです。