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多和田葉子の小説『献灯使』を読む

明治生まれの方々が113歳、114歳で介助を受けながらも元気に過ごされていること、そして99歳の方が富士登山に挑戦されたことがテレビで紹介されていました。これは日本の高齢化社会が新たな段階に入っていることのように思えます。以前は「高齢」と見なされていた年齢でも、個々の健康状態や活動意欲によっては、非常にアクティブな生活を送ることが可能になっているようです。

 

かつては「人生80年」と言われていましたが、今や100歳を超えることは珍しくなくなりました。平均寿命が伸びることで、単に年齢で人を区切るのではなく、個々の能力や意欲に合わせた社会のあり方が求められてくるでしょう。

 

高齢者は「守られる存在」というだけでなく、「社会を支える存在」として捉え直す時期かもしれません。いくつになっても活躍できる場や、社会とつながりを持てる機会を増やしていくことが大切なのでしょうね。

介護が「生活の補助」としてだけでなく、「生きがいを支える」役割を担う重要性を示しています。

 

そんな話題を聞いたところで読んだ多和田葉子の小説『献灯使』は、近未来の日本を舞台に、言葉と身体、そして記憶のあり方を深く問いかける作品でした。特に印象的だったのは、この作品が描く「超高齢化」社会の特異な描写と、それに伴う言語の変容でした。

物語の舞台となる日本は、鎖国状態となり、環境汚染の影響で「若返り」という現象が起きていて、百歳を超えた祖父母が若々しく、孫の世代が老いさらばえていくという、現実の時間の流れとは逆行する設定がふしぎな感覚でした。

 

『献灯使』というタイトルは、光を捧げる者、すなわち希望を灯す者を意味しているのでしょうか。記憶や言葉、身体といった人間の根本をなすものが崩壊していく世界で、それでも、絶望の中にもかすかな光を見出そうとする人間の営みを美しく描き出しているようでした。そして、この作品は身体の老いというよりも、社会や文化の老いという、より根源的なテーマを扱っているようで、最初に書いた明治生まれの人たちの生き方と重なりました。元気な高齢者がたくさんいる現代の日本社会で、私たちが本当に守り、次の世代に伝えなければならないものは何なのか。言葉、記憶、そして文化。この作品は、そうした問いを静かにしかし力強く投げかけていると感じました。

 

重い内容ではあったけれど、今だからこその読書でした。

はたして私は百まで生きるのか。

それは神のみぞ知る ですね。