「そんなことまで話さなければいけないの」
先日のおしゃべりボランティアでそう言われてしまったワタシ。
「歌うのは好きじゃあない」というその方に、
本は読まれますか?
「そうね、読書は好きね。 静かに過ごすのがいいのよ」
本を読むっていいですよね。 ワタシは時代小説とか読みますよ。
どんな本がお好きですか? と、ここで
くだんの「そんなことまで~」の発言。
あ~気分悪くさせちゃったのかな、どうしよう。
ワタシがいけなかったのは
3つのことを続けて言ってしまったこと。
「本を読むっていいですよね」
というところで止めておけばよかったのです。
読書をした記憶があっても本のタイトルを覚えているとは限りません。 ワタシもあの作家のあの作品と思っても名前が出てこないことがしばしばあります。 伝えたくても言葉にできないこともあるのに矢継ぎ早に聞いたので戸惑われてしまったのかもしれません。
けれど、この会話のおかげでこの方は、
「静かに過ごすのが好き」だということが分かり、
賑やかに明るく声がけするばかりがいいわけではないと学びました。
「静かにおしゃべり」
声が大きくて早口のワタシにとっては難題ですが
利用者さんに心地よい時間を過ごしていただくには必要なことです。
普段のじぶんの話し方を見直すきっかけになりました。
そんな時に読んだのが、

「聞くこと、話すこと。 尹雄大/著」
第3章あなたがあなたとして存在することを認める
ここではユマニチュードを創出したイヴ・ジネストさんとのインタビューを通してのことがらが書かれている。
「ユマニチュードは絆の哲学。絆がなくなったら孤独です。」
「人間関係で一番つらいのはまったく話しかけられなくなること」
ワタシはうまく話しかけられなかったと思うけれど
「うまく」ってなんだろう。
そこに重きをおく必要はないのかもしれない。
ユマニチュードのことを読むだけでも実りある読書でしたが
実は他の章にも人々の「話し」が登場します。
「ジャッジせずにその人の話しをその人の話しとして聞く。」
「あなたという存在は私の共感に及ばないところで生きている。」
あなたと私が入れ変わることもある。
話しは解り合えるためだけにあるわけではない。
でも話しが無くなると孤独を感じる。
本を読み終わっても答えがあるわけではなかった。
「答えは何ひとつ書いていないけれど
問うための手立てはたくさん綴ったつもりだ」
著者もそう結んでいた。