約100年前に思想家・柳宗悦が説いた民衆的工藝、「民藝」に興味を持つ身としては、「民藝運動」を推し進めたひとりの「河井寛次郎」の世界観を感じられる「河井寛次郎記念館」は京都へ行ったなら必ず立ち寄りたい場所のひとつです。
この建物ができたときに、柳宗悦から贈られた柱時計は、柳が手に入れたときにはすでに100年近く経っていたという。 この時計の刻む音がこの空間にいることをより感慨深いものにしてくれます。
囲炉裏のある1階の板の間からは通り庭、中庭、登り窯、そして2階へも続きこの家での生活の中心だったと思われます。 特徴的なスツールは餅つきの臼から作られたもの。座ってみるとすぽっとはまった感じがなんとも心地よく、根っこが生えてしまいそうです。 そんなことを館の方に話すと「好きなだけ座って根を生やしていってください。」と言ってくださる。 そして、帰るときには「のんびりと過ごされましたか?またゆっくりといらしてください。」と声をかけて下さるのは前に来た時と変わらずでした。
2階の縁側という感じの板の間には寛次郎の写真が飾られています。目が合うとその思想を語りだしてくれるかのようです。
「見るから在る 見れば在る
美は随所にありあまる也」
「ものは一つではない、見る人の数だけの数」
「旅は帰る処が目的地」
この丸石は、この家ができた時に郷里の安来の人からお祝いに石灯篭を贈ると言われたときに「それなら丸石が欲しい」と言い、この庭にやってきたものです。 重たい石ではあるけれど丸いから動かすことが出来ます。寛次郎自身が動かして設置場所を決めたそうです。 丸いゆえに自由に動かせる、それが「石でなくても」と教えてくれているようです。
丸石に寄る寛次郎の姿を真似てオットがここで写真を撮ったのが、ついこの間のように思えるほど、ここの景色は変りません。
新しいものもいいけれど、変わっていないと思うから来たくなる場所もあるのです。
焼くことの無くなった登り窯ですが、
ここにある意味はきっとあるのです。
↑陶板の釉薬色見本が並ぶ展示室。
河井寛次郎といえば、陶芸家として「釉薬研究」に力を注いだ人。鉄(黒褐色)、辰砂(赤)、呉須(青)で描かれた草花文様の作品を先ず思い浮かべるけれど、練上げの作品もあり、その造形も風変わりなものがあったりする。ほかにも木工、書、思想と多岐にわたって才を成した人。河井寛次郎という人が残したこの家や作品や空間を感じることがどれだけの人々に影響を与え続けていることでしょう。
2階の和室へあがると窓からの風が軸を揺らして床に置かれた作品にぶつかりカーン、カーンと音がします。ぶつかっていいのかな? 傷がついたりしないかしらと心配するものの、その音が妙に心地よいのです。 そういえば前に来た時も少し暑い日でここで涼風を感じのんびりと過ごしていました。
こちらの和室は眺めるだけで、あがることはできません。こういうお部屋で毎日過ごせたらどんなにいいかしらと思うものの広いお屋敷はお掃除が大変だわ、と現実に戻ってしまいます。
それでもこの記念館は宇宙(コスモス)を感じる素敵な場所です。
自分を生きた人、河井寛次郎のことばが、
ワタシの心にも刻まれています。
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