ノコノオト noko_note

nokoの雑記帳  あれこれつれづれ

おむすびの思い出

福島県会津湯ノ花温泉にある民宿に泊まった翌日に

標高1926mの田代山へ登ったのは2012年6月のことでした。

急遽 山登りをすることを決めた私たちに

宿の女将さんは快くおむすび弁当を用意してくださいました。

 

ここでは、「おにぎり」ではなくて「おむすび」と言うんですよ。

ひとつひとつ食べる方とのご縁をむすんでいるんです。

そう言いながら2011年の東日本大震災の時に女将さんたちは

避難所へおむすびを毎日差し入れをしたことも話して下さいました。

 

 

f:id:hapo_mina:20220407120125j:plain

・抄本 おむすびの味 

・伊都子の食卓

岡部伊都子さんの書かれた この2冊の随筆を読んでいたら、

会津のおむすびのことを思い出しました。

 

どちらの本にも食材や料理を通した人とのつながりや

物への思いが綴られています。

 

「おむすびの味」と題した随筆から発展してテレビで料理番組をすることになり

最初に作ったのは「おむすび」だったことを書いた「テレビむすび」にも

引用されている≪斜陽≫のお母様の

「おむすび が なぜ美味しいのか知っていますか。」

の問いかけに応えるように 

握るのは片手でもできるけれど左右の手のひらがあって

作るおむすびから 形と形、心と心、心と形の結び合いを語っています。

 

「お母さんのつくったおむすびほど 懐かしいものはありませんもの」

と書かれているようにワタシにもHapoさん(母)がつくってくれた

おむすびの思い出があります。

 

自分でつくるとイビツな形でしかできないのに

母はきれいな三角で それでいてふんわりとしたおむすびでした。

手水と手塩をした手のひらに、炊き立てのあつあつご飯をとり

きゅっきゅっと結ぶ手際よさは、いつも手品をみるようでした。

 

熱さで赤くなる母の手のひらに、愛が詰まっていたのだと思ったのは

ずっと後のことですが、、、。

 

普段の夕飯のあとに少しだけご飯が残ったときは、

小さな俵の塩むすびを数個作ってお皿に置いておくと、

夜が更ける前にいつのまにか誰かがつまんでなくなっている。

 

もうお腹いっぱいのはずなのに、

小さな塩むすびは別腹で、格別な美味しさがありました。

 

おむすびをHapoさん(母)が最後に作ってくれたのは

いつだったのかは覚えていなくても

母の作ったおむすびが美味しくて嬉しくて

思い出の味になっていることは忘れていません。

おむすびってそういうものなんでしょうね。

 

今度はワタシがむすんでHapoさんに食べてもらいたいと願っています。

 

呼び方が「おにぎり」でも「おむすび」でも

それを作れる手のひらを持っているのは心豊かなことなのですね。

 

そんなことを思わせてくれた岡部伊都子さんのご本との出会いでした。

 

 

そうそう、2月にはおにぎり屋さんとの出会いもありました。

hapo-mina.hatenablog.com

 

週末におむすびを持って散歩に行くと

「おいしい」と言って一緒に食べてくれる人がいることも

おむすびの思い出のひとつになっていくのでしょう。

 

 

一度読んでおしまいではなくて、

手元においてどのページでもぱらりと開いて読みたくなる随筆集は

夕飯後に食べた塩むすびとおなじように思えました。

 

その岡部伊都子さんは、家庭の中の随筆だけではなく社会問題に対する

ご本をいくつも書かれています。

 

 戦争はぜったいに「美しいもの」を求めない

 死ぬことだけ、死を求めるだけ

 

 でも人の心は優しくて

 美しくて慈しみあう

 そういうことが大事

 それを美と思うの 私は

 

美を求め続けた岡部伊都子さんの言葉をいまこそ大事にしたいですね。