昨日の献血のはなしでイギリス旅行に行ったことを書きましたが
献血ルームの問診で「何年に行かれましたか?」と聞かれ
30年ほど前です。と答えたものの はっきり何年と言えませんでした。
こういう時にHapoさん(母)は、
「何年の何月です」とはっきり答えます。
昔からそういう記憶がとてもしっかりして驚きます。
私はそういうところがあいまいで、
以前とか前にとか昔とか、、、そんな言葉で片付けてしまいます。
長谷川式の認知症テストをしたら、ぜったいアウト!ですね~。
さて、その30年ほど前のイギリス旅行ですが、
たしか湾岸戦争前の年末年始に行った記憶があります。
調べてみると1991年1月17日に空爆があったので、
1990年の12月末から1991年1月のはじめの旅行だったのだと思います。
そのイギリス旅行は友人3人と計画を立てていたのですが、
ほかの二人と日程が合わず、年末からひとりで先に行き
後半の3日間を二人と合流してブリットレイルパスを利用して列車旅行をしました。
携帯電話がない当時、待ち合わせに不安のあったワタシは
行く前になんども合流場所の確認をしました。
待ち合わせ場所はヒースロー空港です。
二人は日本からのフライトが到着するターミナルはひとつだけだから
その到着口で動かずに待っていればぜったいに会えるから大丈夫と
そのターミナルを指定しました。
その当日、フライトの到着時間になっても日本からの飛行機は到着しません。
定刻通りに来るとは限らないから待っていましたが、1時間経っても会えません。
さすがにおかしいと思って空港の係の人に聞くと、
そのフライトは別のターミナルに到着しているといいます。
慌てて、そのターミナルに行くと二人がいました。
「どうして待っていなかったの!」と言われてしまったけれど
「ここは指定したターミナルではないよね。」
と伝えると二人は初めてそれに気づいたようでした。
とにかく会えてよかった~! 喜び合って三人での旅が始まりました。
今思い出しても、無謀な待ち合わせだったな~と思います。
そしてエディンバラ観光を楽しんだあと私だけロンドンにもどり
日本へ帰国しました。
残った二人はあと2週間ほど観光を続ける予定でした。
それが、私が帰国してまだイギリスにいるはずの友から電話がありました。
国際電話かと思ったらもう日本に帰ってきたと言います。
どうしたの? なにがあったの? と聞くと
飛行機が飛ばなくなるかもしれないから変更して早めに帰国したというのです。
格安チケットだったのにフライト変更を無償でやってもらえたのは
有事だったからでしょう。
スタートの待ち合わせからはじまって、
いろいろといわくつきの旅行ですが、思い出深い旅でした。
そう思えるのも無事に帰国できたからこそ、なんですよね。
イギリスへはそのあとHapoさん(母)とも行きましたが
はたして1年後だったのか、2年後だったのか、、、
はっきりと思い出せません。
年のせい?
だけではなさそうです。