老母の握力

介護の入り口。老母(ローボ)と老娘(ロームス)のつれづれ。

通勤読書の楽しさ

新年度になり電車を使っての通勤・通学を

はじめる方もいらっしゃるのでしょうね。

 

このご時世、満員電車は辛いけれど、いいことも少しあるのが電車通勤です。

 

私もかつては往復3時間半を通勤時間に費やしていました。

 

辛い通勤ではありましたが、長くてよかったことがひとつあります。

 

それは本を沢山読めたこと。

 

今は読書より、スマホの時代かもしれないけれど、

紙のページをめくり本を読むことも素敵な時間の過ごし方だと思います。

 

 

面白い本だと熱中して降りる駅を通過してしまうこともたびたび (^^ゞ

 

幸い帰りだったのでなんとかなりました。

 

このとき読みふけっていた本の多くは北村薫さんの作品です。

 

いままでも本を読むのは好きでしたが、

熱中して読むことからは遠ざかっていました。

 

それが転勤で通勤時間が増えたことにより読書量が大幅にアップしました。

 

その良い習慣が、退職した今も続いています。

 

私の”北村ワールド”は円紫さんシリーズと言われる「空飛ぶ馬」で幕開け。

 

この作家のことを何も知らず、表紙の女の子の絵に見覚えがあり高野文子さんの作だと気づき、その絵に惹かれて手にした本です。もし違う表紙だったらまだ出会っていなかったかもしれません。そして落語家の「円紫さん」と女子大生の「私」が日常の謎を解き明かしていく その日常がたまらなく面白い。このシリーズをワクワクしながら電車の中で座れずに立って読んでいたのに、降りる駅を忘れてしまうこと数回。慌てて降りたその駅のベンチでまだ読みふけってしまった魅力の作品です。

 

「私」も「円紫」さんもほかの登場人物もすべてが先生の分身なのだと北村先生の知識の量に圧倒され、恐れ入りました。

 

このシリーズは女子大生の私が社会人になって終わっているけれど、ほかの作品の随所に 「私」を感じることがあります。

  

その「私」を追い求めて、もっともっとと読みたくなる本ばかりです。

 

「月の砂漠をさばさばと」や「ひとがた流し」にもあの女子大生だった「私」がいると思えるのです。

 

どの作品も好きなのでどれが一番なんて言う必要はないのかもしれないけれど中でも繰り返し読んでいるのは「八月の六日間」です。

 

編集の仕事をしている主人公がふとしたことで山登りに目覚め、ひとりで登山に行くようになるお話。山小屋での出会い、羊羹1本丸かじりの山女子との出会い、そして別れもほろりと書いてある。「私」の弱い部分にも気づいてくれ、見守ってくれる友人がいてそして山から帰ってくる。山へ行く前と後の気持ちの変化がずしりと届く。

 

無駄になってしまう荷物をザックに詰めてしまい、ちょっと悔やむところとか読めなくても安定剤だからと数冊の本を持っていくとか、スキがちょっと見えるところが共感なのかもしれないし、自分が山を登り終えたような気分にもなって、こちらのモヤを晴らしてくれる、そんな本なので今も枕元に置いて たびたび読んでいます。

 

おそらくこの本を単独で読んでいたらこんなにも気になることはなかったと思うのですが、ほかの作品を読んでからこの作品に出会ったおかげで「私」の今がここにあるのだと安心できました。

 

本を読むのは知らないことを知れること、知らない場所へ行けること、心のひだに触れられること、そんな楽しみがあるのを北村作品からたっぷりと教えてもらえました。

 

通勤時間がなくなっても 本を読むのはやめられません。