久しぶりに自宅に戻った母ですが、ベッドに横になるときに
着ていた服のままでは嫌だから着替えるといいます。
ちょうど新しい部屋着を渡そうと用意していたのでそれに着替えて貰いました。
すると「この服はホームに着て帰れないわね」と言います。
「どうして?」
「だって名前が書いてないでしょう」
「ちゃんと書いてあるから 大丈夫よ」
と その名前シールを貼ったところを見せました。
「そう、これにも貼ってくれたのね。 ホームで服に名前を書くように言われて書こうと思ったら、全部名前シールが貼ってあってびっくりしたのよ。 ずいぶん大変だったでしょう。 nokoちゃんは何でも気がついて こんなことまでしてくれるのはnokoちゃんだけよ。 ほかの子だったらそんなことに気がつかないわねぇ。 nokoちゃんありがとうね、って名前シール見るたび思うのよ。」
「あらぁ、そんなこと言ってもらえて私もうれしいわ~」と応えたのですが、
ホームへ転居する前に服には全部名前シールを貼ったことを伝え 実物も見てもらったのにそのことは全く覚えていないようです。
↑あれやこれや準備していたのは、去年の九月のことだったんですね~。
病院から退院し数日でホームへの転居だったから何がなんやら気持ちが追い付いていなかったのでしょうね。
まもなく半年が過ぎようとしていますが、ようやく周りが見えてきて心にゆとりができてきたのかもしれません。
そしてこの日の夕方ホームへ戻るのに 名前が書いていないからこの服のまま帰れないとまた言います。
服の名前シールを見せ、
「大丈夫よ、けれど着てきた服で帰ったほうがよければもう一度着替えましょうか?」
「名前が書いてあるならこのまま帰る~ だって着替えるのめんどくさいもの~」
名前シールにこだわりを示すのは何か気にかかることがあったのかもしれないと心配にもなります。
母の服や持ち物に名前を書いたり貼ったりしていたとき、私は複雑な気持ちでした。
名前を書いた服を着なくてはいけないことを
母は惨めに思わないだろうかと心配しました。
自分のものを誰かが区別するために名前を書くって自分でできないことを
目の当たりしていることになると思うのです。
それを母は受け入れられるだろうか、
名前シールを見て嫌な気持ちにならないだろうか
そう思ったのは私で、
母は名前シールを見て感謝の気持ちを表してくれました。
ホームでも「ありがとう」の言葉を忘れずに過ごしているといいます。
自分のできないことをやってくれるのだから感謝してこそでしょ と。
いつもありがとうって言われるから 憎めないわね~って
職員の方にも言われるのよ~と笑って話していますが、
「ありがとう」と言いながら暮らすことも少なからずのストレスだとは思います。
それさえもわかっての「ありがとう」なのでしょうか。
それでも「ありがとう」と声にだし 日々を過ごす母に
私も「ありがとう」と伝えましょうね。